アラフィフママの奮闘日記

38歳結婚。38歳長男出産、43歳次男出産。高齢出産ママの仕事独立奮闘記

お母さんありがとう

 私の人生を振り返った時、母の存在はとても大きい。

母も、今でいう高齢出産であったためか、私たち子供に

対する期待が人一倍強かったのではないかと思う。

 当の本人の私は、親の期待をよそに、学業もスポーツも

それなりに人並み。。。小、中、高校と無難に卒業し、進学校

あったにも関わらず、地元企業に就職し、一応母は安堵していた。

 

  子供のころ、父親は専業農家であったため収入は不安定だった。

そのため母親は、私たちがまだ小さい頃から働きに出た。

縫製工場に数年勤め、月収を上げるため、近場の大型宿泊施設に転職をし

早朝早出、残業もし、家計を支えていた。

 母は、私が高校3年生の時、姉が結婚を決めたので嫁入支度を

派手にやってのけた。

私も働き出してから、母のすごさを思い知らされた。

  のちに、みかん畑の伐採や、タバコの栽培の打ち切り等の補助金

多く出たと聞いたのだけれども。。。

 母との思い出は、尽きない程あるのだけど、

私が転職を二回し、販売員をしている時期に毎週のように二人でランチに

出かけた。旅行にも二人で出かけた。いつまでも続くと思っていた。。

 

  が、しかし突然母が病に伏した。脳梗塞だった。

当時私は、販売員をしながら、スナックのアルバイトもしていた。

きっかけは、20歳の時に友達のお母さんがお店をしていて興味本位で

入店し、5年くらい働いていたが彼氏ができて辞めていた。

 そして、28歳のとき友達と飲んでいて知り合いに頼まれて、再びスナックでの

バイトを始めていた。

 29歳の時に、昼の仕事場に病院からの電話があり凍りついた。

(母の闘病、リハビリについては14年半に及んだ。

それについいては また機会があれば。。)

 

その時に私の人生も、大きく転機し、一大決心をした。

当時、入院費を父親が払えるはずもなく、(11〜12社の消費者金融から借金していたため)家族会議をしたが姉にも頼れず、、

父のお姉さんと、父の叔父さんから200万円づつ借金し、

私のスナック開店準備金に当てた。

 もちろん、全然足りない。。自分の微々たる貯金もはたき、なんとか

開店させることができた。

お金はカツカツだったが、不思議と失敗するなんて微塵にも思わなかった。

成功して、入院費と借金返済をすることしか考えていなかった。

 冷静に考えれば、絶対の根拠などない。

スナックでアルバイトは長年してはいたけど、お客さんなどほとんど

呼んだこともないし、同伴もしたことがほとんどないのだから。。

   大博打である。。。

 

母の、長い間闘病生活が始まり、私は販売員を辞め夜の店一本に

なっていた。

 田舎のスナックだけど、結果的には大成功をした。

初めの1年で父の借金と、父の姉さんと叔父さんの返金も全て終わり

入院費も払って行けたのだ。

 

今思えば、成功の裏にあったのは決心だけである。

決心により、行動を起こしただけである。

 

  私の人生を振りかえった時、このことは大きな出来事であり

転機になった。きっっかけはお金に困り、スナック経営で全て

解決をしたのだけど、とてもとても大きな置き土産があった。

 

人との出逢いである

 

たくさんの出会いが私の人生を味付け太らし、実らせてくれた。

 

母の 病気が引き金ではあったが、たくさんの試練を乗り越えて

の今がある。今まで出会った人に感謝を。。

 

  今は亡き 最愛の母に感謝を。。。ありがとう